ウルムからアップルへ——シリコンバレーが受け継いだドイツの遺産
2011年、デザイン評論家のソフィー・ラヴェルが一冊の本を出版しました。タイトルは『Dieter Rams: As Little Design as Possible』(Phaidon)。序文を書いたのは、アップルの最高デザイン責任者、ジョナサン・アイヴでした。
アイヴは序文でラムスを「我々の仕事を定義した先人」と呼び、「less but better(より少なく、しかしより良く)」という言葉が自身のデザイン哲学の核心だと明記しました。世界で最も価値のある企業のデザイン責任者が、1950〜60年代のドイツ工業デザイナーへの私淑を公式に認めた瞬間でした。
しかしこの系譜は、どのようにして生まれたのでしょうか。
直接の伝達経路——HfG → ブラウン → アップル
ウルム造形大学(HfG)とアップルの間には、明確な設計思想の伝達経路があります。
1954年、HfGの教授ハンス・グッゲロートがブラウン社のコンサルタントとなり、製品全体に統一したデザイン言語を持ち込みました。1955年、ディーター・ラムスがブラウン社の社内デザイナーとして入社し、グッゲロートと協働を開始します。1956年のSK4(「白雪姫の棺」)以降、ブラウン社の製品群は「機能の可視化」「素材の誠実さ」「装飾の排除」を体現する工業デザインの基準点となりました。
ラムスはHfGの卒業生でも教員でもありません。しかしグッゲロートを介してHfGの方法論を吸収し、それをブラウン社で深化させていきました。「ウルムの思想を最も純粋に製品化したデザイナー」という評価が彼に与えられるのは、そのためです。
製品が語る証拠
ブラウン製品とアップル製品の視覚的類似は、偶然ではありません。
1956年のブラウンSK4は、白い金属筐体に透明なアクリル蓋を持つプレーヤーでした。Macintoshから続くアップルコンピュータの「機能を隠さない白い筐体」は、この問いの延長線上にあります。1987年のブラウン電卓ET66は、黄色のイコール(=)ボタンを含む明快なキーレイアウトを持っていました。初代iPhoneに搭載された計算機アプリのデザインは、このET66へのオマージュとして知られています。アイヴ自身がこれを「温かな敬意の表れ」と語ったことが伝記類に記録されています。
なかでもよく引き合いに出されるのが、1958年発売のBraun T3ポケットラジオです。中央に配された円形のダイヤルは、2001年登場のiPodクリックホイールとの視覚的類似がデザイン史の定番比較として語られてきました。ラムス自身は後年、T3の先進性についてこう語っています。「発売当時としては、これは本当に革新的な製品だったと思います。今思えば、私はこれを『初代ウォークマン』と呼びたいですね」(Wallpaper*誌)。
ただし「視覚的に似ている」と「直接の着想を得た」の間には違いがあります。2013年のFast Companyの取材では、iPodクリックホイールの直接の着想源はデンマークのBang & Olufsen製品だったという証言があります。系譜は連続していますが、一本の直線ではありません。
スティーブ・ジョブズとバウハウスの会話
1983年、スティーブ・ジョブズはアスペンで開かれた国際デザイン会議(IDCA)に登壇し、バウハウスの哲学について語りました。「シンプルにする。本当にシンプルに」という彼の言葉は、この講演に由来します。
会場となったアスペン研究所の施設は、バウハウスの最後の生存者の一人、ハーバート・バイヤーが設計したものでした。ジョブズがバウハウスを語った場所は、バウハウスの建物の中でした。
ジョブズはラムスやブラウンを直接名指しすることよりも、「シンプルさ」という抽象概念として語ることが多かったとされています。しかしウォルター・アイザックソンの伝記『Steve Jobs』(2011年)には、ジョブズがブラウン社の電子機器について言及した記録が残っています——小型のパッケージに収め、美しく白くする、という方向性として。
サムスン裁判の皮肉
歴史の皮肉が最も鮮やかに現れたのは、2012年のアップル対サムスンの特許訴訟でした。アップルはサムスンが自社製品のデザインを模倣したとして提訴し、最終的にサムスンは5億4800万ドルの賠償を命じられました。
訴訟は最高裁まで続き、2016年の審理ではディーター・ラムスを含む多数のデザイナーがアップル支持の意見書(アミカス・ブリーフ)に名を連ねました。ラムスの作品がサムスンに模倣されたデザインの源流とされながら、そのラムス自身がアップル側に立つという、歴史の皮肉な構図です。
ラムス自身は、アップルへの影響について批判的ではありませんでした。「彼らが同じ設計思想の基本を使っているのは褒め言葉だ」と語っています。問題は模倣するかどうかではなく、思想を正しく理解して使うかどうか——ラムスの立場はそこにありました。
デザイン思考へ——方法論の世界拡散
ウルムの遺産は、製品デザインだけに留まりませんでした。
HfGが体系化した「設計方法論」——問題を定義し、証拠に基づいて解決し、検証するプロセス——は、1970年代以降の世界のデザイン教育に浸透していきます。スタンフォード大学d.schoolとIDEOが広めた「デザイン思考(Design Thinking)」は、HfGの方法論を現代的に再解釈したものと言われています。
日本でも、その系譜は静かに生きています。武蔵野美術大学の向井周太郎教授はHfGウルムで学んでいました。その影響を受けた深澤直人がMUJIのクリエイティブディレクターとなり、「簡潔(Kanketsu)」を哲学とするブランドの思想的基盤を作りました。ウルムのエッセンスは、ドイツを出てシリコンバレーへ、そして日本の量販店の棚まで届いています。
バウハウスから始まり、ウルムで方法論として鍛えられ、ブラウン社によって日用品のかたちへ落とし込まれたドイツ・プロダクトデザインの精神。その流れは、AppleやMUJIのような世界的なブランドだけでなく、今日のZACKのプロダクトにも息づいています。必要なものだけを、必要なかたちで。そこにあるのは、装飾ではなく、機能から生まれる静かな美しさです。
Photo: PeterAjtony / CC BY-SA 4.0. Braun T3(1958年)、ディーター・ラムス設計. トリミング・高精細化・AI背景生成・モノクロ加工.
この記事は ドイツデザインの系譜|機能と美が出会った100年の歴史 アーカイブの一部です。
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