レッドドット賞の創設——エッセンから世界へ
ドイツ西部に広がるルール工業地帯。その中心都市エッセン(Essen)は、かつてクルップ財閥の本拠地として知られる鉄と石炭の街でした。1970〜80年代に多くの炭鉱が閉山し、産業転換を迫られたこの街が選んだ道のひとつが、文化とデザインへの投資でした。廃坑をミュージアムに転用し、重工業の空間を創造産業の拠点へと再定義する——レッドドット・デザイン賞の誕生と成長は、この都市再生の物語と深く結びついています。
ルール工業地帯という土壌——石炭から文化へ
ルール地域は19世紀から20世紀にかけてヨーロッパ最大の石炭・鉄鋼の産地として栄えました。しかし1970〜80年代にかけて石炭採掘は経済的に成り立たなくなり、多くの炭鉱が閉山。重工業地帯の構造転換という痛みを経験します。
その過程でエッセンが選んだ方向性のひとつが、文化とデザインへの投資でした。廃坑となった炭鉱をミュージアムや文化施設に転用し、かつて重工業が占めていた空間を、今度は創造産業の拠点として再定義する——この都市の選択が、レッドドット賞の成長に大きな意味を持つことになります。
「インダストリーフォルム」から Design Zentrum へ——70年の歩み
レッドドット賞のルーツは、1954年7月30日にエッセンで設立された「ハウス・デア・インダストリーフォルム(Haus der Industrieform e.V.)」という非営利団体にさかのぼります。クルップ社の広報部長カール・フントハウゼンの主導で設立されたこの団体は、工業製品にも質の高いデザインを求めるという理念を掲げており、翌1955年には初めてのデザインコンペティションを開催しました。
その後35年を経て、1990年に団体名が「Design Zentrum Nordrhein Westfalen(NRWデザインセンター)」へと改称されます。この改称は単なる名前の変更にとどまらず、組織の方向性そのものの刷新を意味していました。そして翌1991年4月1日、ペーター・ツェック(Prof. Dr. Peter Zec)が代表に就任します。
ツェック氏が導入したのが、赤い点のシンボルでした。美術ギャラリーでは作品が売れると隣に赤い丸シールが貼られる慣習があります。そのイメージを転用し、「受賞作品のしるし」として赤い点を用いるアイデアをツェック氏は考案したとされています。1991年、グラフィックデザイナーのオトル・アイヒャー(Otl Aicher)がコーポレートデザインに関わったとされており、1992年に初めてレッドドット・ラベルが実際の受賞製品に付与されました。
ツォルフェアアイン炭鉱跡と「赤い点」の哲学
1997年、レッドドット賞の展示施設は大きな転換点を迎えます。エッセン郊外に位置するツォルフェアアイン炭鉱業遺産群——かつてヨーロッパ最大規模を誇った炭鉱で、1986年に閉山——の旧ボイラー棟を、ノーマン・フォスター率いるフォスター&パートナーズ(Foster and Partners)が改装し、「レッドドット・デザイン・ミュージアム」として開館したのです。五層構造の展示室は4,000平方メートルの面積を持ち、生のコンクリートと巨大な鉄骨がむき出しになった空間に、洗練された現代デザインが並ぶという対比が印象的です。ツォルフェアアインは2001年にユネスコ世界文化遺産にも登録されています。
産業廃墟をデザインの聖地に転換するというこの選択は、「赤い点」が象徴しようとしていたものと重なります。機能のために生まれ、使い捨てられるのではなく、良いデザインは時代を超えて価値を持ち続ける——そうした主張を、建物そのものの再生によって体現しているとも読み取ることができます。
三つの審査部門と厳格な評価体制
現在のレッドドット賞は、三つの部門から構成されています。
最も歴史が長いのが「プロダクトデザイン(Product Design)」部門です。1955年の初開催から続くこの部門では、家電・家具・医療機器・ファッションなど49のカテゴリーにわたる工業製品を審査します。次いで1993年に「コミュニケーションデザイン(Communication Design)」部門が加わり、コーポレートデザインや広告・インタラクティブメディアの領域に対象が広がりました。この部門は2019年に「ブランド&コミュニケーションデザイン(Brands & Communication Design)」へと改称されています。そして2005年——賞の創設50周年にあたる年——に「デザインコンセプト(Design Concept)」部門が新設され、製品化される前のプロトタイプやアイデアも評価対象となりました。
審査は各分野の専門家による独立した審査員団が担い、厳格な基準で選定されます。受賞ラベルの使用管理や展示・アーカイブの仕組みも含めて、賞の信頼性を支える重要な要素になっています。
iF賞との違い、そしてグローバル展開
レッドドット賞とよく比較されるのが、同じドイツ発の「iF デザイン賞(iF Design Award)」です。iF賞はハノーファーのメッセ(見本市会場)を起点として1953年に設立された、レッドドット賞より2年古い賞です。両賞は世界三大デザイン賞のうちの二つとして、しばしば同列に語られます。
両者の違いは設立の背景にも表れています。iF賞が貿易見本市という商業の場から生まれたのに対し、レッドドット賞は地域の文化振興団体を母体としており、受賞作品のアーカイブと展示に力を入れてきた点が特徴とされています。ただし両賞に同時に応募し、両方を受賞する製品も多く、競合というよりは相補的な関係にあると見るのが実態に近いでしょう。
グローバル展開という面では、2005年にシンガポール、2018年には中国の廈門(アモイ)にレッドドット・デザイン・ミュージアムの拠点が開設されています。現在、受賞作品の展示はエッセン・シンガポール・廈門の三都市で行われており、特にアジア太平洋地域での認知度向上に寄与しているとされています。
受賞製品に付与される「レッドドット・ラベル」は、企業にとって製品パッケージや広告にそのまま使用できるライセンスが与えられ、デザイン品質を証明するマーケティングツールとして機能しています。この受賞ロゴの商業利用価値が広く認識されているからこそ、世界中のメーカーやデザインスタジオが毎年エントリーを続けているとも言えます。
かつて石炭と鉄鋼の街だったエッセンから発信された「赤い点」は、今や世界中の製品にそのシールを刻んでいます。産業遺産を再生した炭鉱跡のミュージアムと、そこを起点に広がったグローバルなデザイン評価のネットワーク——それがレッドドット賞の現在の姿です。
Photo: Marco Wydmuch / Red Dot GmbH & Co. KG, CC BY-SA 4.0. モノクロ化。
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