iF賞はなぜハノーファーで生まれたか——世界最大級のデザイン賞の誕生
ドイツ北部の都市ハノーファーは、毎年春になると世界中から産業人とデザイナーが集まる街に変わります。世界最大級の産業見本市「ハノーファーメッセ」を擁するこの街から、1953年、ひとつのデザイン賞が生まれました。それが「iF Design Award(iFデザイン賞)」の前身です。現在では毎年世界66カ国から約11,000点の応募が集まるとされる、国際的なデザイン賞の誕生の背景には、戦後ドイツの切実な産業課題がありました。
廃墟から輸出産業へ——戦後ドイツとデザインの必然
1953年といえば、第二次世界大戦の終結からわずか8年。ドイツは占領下から独立を回復し、産業の再建が急務でした。ハノーファーの地には、1947年にイギリス占領軍が産業復興の拠点として選定した見本市会場があり、そこが戦後ドイツ経済の発信地となっていました。
問題は「品質」と「デザイン」でした。19世紀以来、ドイツ製品には「粗悪品」のイメージがつきまとった歴史があります。「Made in Germany」がかつて警告ラベルとして機能したことは、別の記事でも触れた通りです。戦後の復興期においても、ドイツ製品が世界市場で競争力を持つためには、技術だけでなく「見た目」と「使いやすさ」が伴わなければならない——そういう認識が産業界に広がっていました。
この動きを主導したのが、陶磁器メーカー・ローゼンタール社の経営者フィリップ・ローゼンタールです。文化と産業の融合に強い信念を持っていたとされる彼は、ドイツ産業連盟(BDI)とハノーファー・メッセ社に働きかけ、1953年のハノーファーメッセの会場内に「良く設計された工業製品の特別展(Sonderschau formgerechter Industrieerzeugnisse)」を開催しました。これがiF賞の原点とされています。
「Die gute Industrieform」——良き工業的形態という思想
特別展の成功を受け、同年に設立されたのが「Die gute Industrieform e.V.(良き工業的形態協会)」です。名称にある「gute(良き)」という言葉には、単に美しいという意味だけでなく、機能的に正しく、ユーザーにとって誠実であるという意味が込められていたとされます。バウハウスやウルム造形大学が追求してきた「形態は機能に従う」という思想と地続きの発想です。
翌1954年から正式に毎年の審査が始まり、優れた工業製品を選定する賞として定着していきます。審査は当初から独立した専門家によって行われ、企業から独立した判断を下すという姿勢が、賞の信頼性の基盤となりました。
1980年代には、組織の自己認識が「フォーラム(対話の場)」へと移行し、1990年には名称が「Industrie Forum Design Hannover」に改められました。この名称の略称が「iF」です。その後2001年にGmbH(有限会社)として組織化され、2018年には非営利の「iF Design Foundation(iFデザイン財団)」が唯一の株主として運営を引き継いでいます。名称と組織形態は変わりながらも、1953年の精神——産業とデザインをつなぐ場——は今も変わっていないとされています。
ハノーファーメッセとの共鳴——市場で通用するデザインの証明
iF賞がハノーファーで生まれたことは偶然ではありません。ハノーファーメッセは産業機械・電気・情報技術を中心とした、いわゆる「B2B(企業間取引)」の見本市です。そこに集まるのは生活者ではなく、バイヤー、エンジニア、経営者たちです。
こういった場でデザイン賞が生まれたことは、iF賞の性格を根本から規定しています。美術館で評価される「芸術としてのデザイン」ではなく、市場で選ばれ、実際に人の手に渡り、使われる「産業製品としてのデザイン」を評価するという姿勢です。「「良いデザインこそが市場で通用する」」——この考えは、戦後ドイツが輸出競争力を取り戻そうとした時代の産物でもあり、それゆえにビジネスと結びついた説得力を持ち続けてきました。
この点が、エッセンを拠点とする「レッドドット賞(Red Dot Award)」との微妙な違いを生んでいます。1955年に最初のコンペを開催したレッドドット賞は、美的完成度とプロダクトとしての質を重視するとされ、どちらかといえばデザイン・コミュニティへの訴求が強いとも評されます。一方、iF賞はより産業・ビジネス寄りの評価軸を持つとされてきました。ただし両賞ともに現在は審査基準が多岐にわたり、単純な優劣や特化の違いを語るのは難しくなっています。iF賞・レッドドット賞・アメリカのIDEA賞を合わせた「世界三大デザイン賞」という括りが定着しているように、三賞はそれぞれの独自性を保ちながら相互補完的に機能しているとみるべきでしょう。
日本との深い縁——アジア最大の受賞国へ
iF賞と日本の関係は深く、長い歴史を持ちます。高度成長期以降、日本の製造業はドイツと同様に「品質」と「デザイン」の両立を経営課題としてきました。ソニー、パナソニック、トヨタ、ヤマハといった企業がiF賞を重要な指標として位置づけ、国際的な受賞実績を積み上げてきた経緯があります。
2019年にはソニーのエンタテインメントロボット「aibo」がiFゴールドアワードを受賞し、国内でも話題となりました。2024年(第70回)の審査では、世界全体で75のゴールドが選ばれた中、日本企業は13作品でゴールドを獲得したとされています。応募国・受賞国ランキングでも日本は上位に位置し続けており、韓国・台湾・中国の企業群と並んで東アジアがiF賞の重要な舞台となっています。
iF賞がドイツの産業界から日本を強く意識するようになった背景には、1970〜80年代の日本製品の躍進があります。「ものづくり」への共通した価値観——機能美、細部へのこだわり、耐久性——がドイツと日本の製品を同じ土俵に乗せ、評価のものさしを共有させてきたといえるかもしれません。
プロダクトを超えて——現代のiF賞が映すデザインの変容
設立当初のiF賞は、文字通り「工業製品」のデザインを審査するものでした。しかし現在の審査は、プロダクト・パッケージ・ブランディング・コミュニケーション・サービス&システム・UI・UX・建築・インテリアという9つの分野、93のカテゴリーに及びます。
スマートフォンのアプリインターフェースや、医療サービスの患者体験設計、都市交通の案内システムといった「形のないデザイン」が評価される時代に、iF賞は産業賞としての原点を保ちながら、対象領域を広げてきました。2025年の審査では約11,000点・66カ国から応募があり、2,211点が受賞したとされています。
ハノーファーの見本市会場に生まれたこの賞が今も生き続けているのは、「良いデザインは産業と社会の両方に貢献する」という1953年の問いが、形を変えながらも有効であり続けているからではないでしょうか。ドイツデザインが積み上げてきた「機能と美の統合」という思想は、デジタル化・サービス化が進む時代においても、設計思想の軸として機能しています。
Photo: Leonitre, CC BY-SA 4.0. モノクロ化。
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