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育てる、という楽しみ。ー経年美化するものたちの話ー

育てる、という楽しみ。ー経年美化するものたちの話ー


一般的に「新品はきれい」という受け止め方をされます。

買ったばかりの白さ。
傷ひとつない表面。
まだ誰の手にも馴染んでいない、まっさらな状態。
それはそれで美しいものです。

けれど一方で、使い込むほど良くなっていくものもあります。
傷がつくこと。
色が変わること。
艶が出ること。
くすむこと。
手に馴染んでいくこと。

それらは、必ずしも悪いことではありません。
もちろん、すべての変化が美しいわけではありません。
壊れてしまうこと、汚れて不衛生になること、機能を失うことは、単なる劣化です。

けれど素材によっては、時間が経つほど表情が深まり、
使う人に馴染み、そのものだけの個性になっていくことがあります。
古くなるのではなく、育っていく。
劣化するのではなく、深まっていく。
そういうものが、世の中にはたくさんあります。

良い素材は、時間を敵とせず、
むしろ味方につけて、少しずつ表情を変えていきます。

革は、使う人の色になる

革製品は、経年変化を楽しむものの代表です。
特にヌメ革の財布や鞄は、買ったばかりの頃はまだ少し素っ気ない表情をしています。
色も浅く、表面も硬く、どこかよそよそしい。
それが使い込むうちに、少しずつ変わっていきます。

手の油が入り、光沢が出て、色が深まり、飴色に近づいていく。
角には丸みが出て、よく触れる部分には艶が生まれる。
小さな傷も、その革の表情の一部になっていく。
同じ財布を買っても、使う人によって育ち方は違います。

ポケットに入れる人。
鞄に入れる人。
毎日手に取る人。
たまにしか使わない人。

使い方の違いが、そのまま革の表情になります。
だから革製品には、「自分だけのものになる」という感覚があります。
新品の均一な美しさとは別の、時間を重ねた美しさです。

木は、触れるほど深まっていく

木もまた、時間とともに表情が変わる素材です。

無垢材の家具。
木の器。
カッティングボード。
箸や盆、道具の柄。

木は、使われるほど色が深まり、手触りが変わっていきます。
何度も手で触れ、拭き、乾かし、また使う。
その繰り返しの中で、表面には少しずつ艶が出てきます。

もちろん、木は水に弱い面もあります。
放っておけば反ったり、割れたり、染みが残ったりすることもあります。
だからこそ、手入れが必要です。

洗ったら乾かす。
ときどき油を入れる。
強い湿気や直射日光を避ける。
手間がかかる素材です。

けれどその手間をかけることで、木はただの道具ではなくなっていきます。
使う人の手に馴染み、その家の空気に馴染み、
時間とともに落ち着いた表情になっていく。
木の道具には、そういう静かな変化があります。

鉄は、使うほど馴染んでいく

鉄のフライパンには、「育てる」という言葉がよく似合います。
フッ素樹脂加工のフライパンには、手軽さという大きな利点があります。
買ったその日から焦げつきにくく、扱いやすい。
忙しい日常の中では、とても便利な道具です。

一方で、鉄のフライパンには別の面白さがあります。
最初は、少し扱いにくい。
焦げつきやすく、重く、手入れにも気を使う。
使ったあとには洗い方があり、火にかけて乾かし、
油を馴染ませる必要があります。
けれど、使い続けるうちに変わっていきます。

表面に油が馴染み、料理しやすくなり、
だんだんと自分の台所に合った道具になっていく。

最初から完成している道具ではなく、使いながら完成に近づいていく道具。
鉄のフライパンを「育てる」と言うのは、そういう感覚から来ているのでしょう。

手入れをする。
使い続ける。
また手入れをする。

その繰り返しが、道具の性能そのものに関わってくる。
鉄には、見た目だけではない経年変化があります。

真鍮や銅は、金属なのに表情が変わる

金属は、冷たく、硬く、変わらないもののように見えます。
けれど真鍮や銅は、時間とともにかなり表情を変える素材です。

例えば真鍮は、買ったばかりの頃は明るい金色をしています。
使っていくうちに、少しずつ落ち着いた飴色になり、くすみが出て、
光り方も柔らかくなっていきます。
ピカピカの新品感が薄れる代わりに、深みが出る。
触れた跡や空気に触れた時間が、表面に残っていく。

銅もまた、赤みのある金属光沢から、
時間とともに落ち着いた色へ変化していきます。

使い込まれた銅の道具には、新品にはない独特の存在感があります。

もちろん、金属の変色は、用途によっては手入れが必要です。
特に食品に触れる道具では、清潔に保つことが前提になります。
それでも、金属がまったく変わらないものではなく、
時間とともに表情を持つ素材であることは面白いことです。
硬い素材でありながら、どこか有機的に変わっていく。
その変化を劣化と見るか、風合いと見るかで、ものとの付き合い方は変わります。

デニムは、色落ちが個性になる

デニムもまた、経年変化を楽しむものの代表です。

普通に考えれば、色が落ちることは劣化です。
新品の濃いインディゴが薄くなり、膝や太もも、ポケットの周りに色落ちが出てくる。
けれどデニムの場合、その色落ちこそが魅力になります。

どこにシワが入るか。
どこが先に擦れるか。
どんな濃淡が生まれるか。

それは、着る人の体型や歩き方、座り方、生活の癖によって変わります。
同じ型のジーンズでも、長く穿けば穿くほど、その人だけの一本になっていく。
ヴィンテージデニムに価値が生まれるのも、ただ古いからではありません。
時間の重なりが、生地の表情として残っているからです。

色が落ちたから価値が下がるのではなく、色の落ち方に価値が生まれる。
そこに、デニムという素材の面白さがあります。

ステンレスは、清潔感を保ちながら生活に馴染む

ステンレスは、革や木のように大きく色が変わる素材ではありません。
真鍮や銅のように、劇的にくすんでいくものでもありません。
むしろ、変わりにくいことに価値がある素材です。
錆びにくく、丈夫で、清潔に保ちやすい。
水まわりやキッチン、日用品に使われるのは、その安定感があるからです。
ただし、ステンレスも傷がつかない素材ではありません。

毎日使っていれば、細かな傷は入ります。
拭いた跡、置いた跡、触れた跡。
完全な鏡面のような新品状態を、いつまでも保ち続けるわけではありません。
けれど、その細かな傷が重なることで、表面全体が少しずつ生活に馴染んでいきます。

特にヘアライン仕上げのように、もともと細かな筋目を持つステンレスは、
使用による小さな跡を受け止めやすい素材です。

傷を完全に拒むのではなく、表情の中に馴染ませていく。

革のように色が育つわけではありません。
木のように手の油で艶が深まるわけでもありません。

それでもステンレスには、清潔感を保ちながら、
長く生活の中に居続ける強さがあります。
変わりすぎない。
傷んだ印象になりにくい。
使い込まれても、道具としての凛とした雰囲気を失いにくい。

それは、経年美化というより、経年に耐える美しさと言えるかもしれません。
長く使う生活道具にとって、この「変わりにくさ」もまた、大きな価値です。

時間に耐えられる素材だから、味になる

ここで大切なのは、変化が美しく見えるためには、
そのもの自体が長い時間に耐えられなければならない、ということです。
どれほど味わいが出る素材でも、そこに至る前に壊れてしまえば、
経年変化を楽しむことはできません。

プラスチックや樹脂製品にも、もちろん優れた点があります。
軽く、安く、加工しやすく、水にも強い。
日用品や医療用品、工業製品など、私たちの生活を支えている場面は数えきれません。

ただ、長い年月をかけて「味わい」になっていく素材かというと、少し別の話です。
多くの樹脂製品は、時間とともに黄ばみ、硬化し、割れ、
表面がべたついたり、脆くなったりします。

それは素材の性質として避けにくい変化であり、
必ずしも「風合い」として受け止められるものではありません。

一方で、石、木、革、金属といった天然の素材には、長い時間に耐える力があります。
もちろん、木や革は有機物ですから、湿気や乾燥に弱く、手入れを怠れば傷みます。
それでも、適切に扱われた木の家具や革製品は、
何十年という時間を人とともに過ごすことがあります。

石や金属のような無機的な素材になると、その時間の単位はさらに長くなります。
何十年どころか、百年、場合によっては千年という単位で形を残すこともある。
もちろん、生活道具として千年使うという意味ではありません。
けれど、素材そのものが持っている時間への強さは、私たちの想像以上です。

だからこそ、傷が味になる。
くすみが深みになる。
手に馴染んだ跡が、そのものの表情になる。
それは単に見た目の話ではありません。

長い時間を受け止められる素材だからこそ、人の暮らしの時間も受け止められる。
使う人の癖や手入れの跡、日々の小さな傷や変化を、壊れる前に、
表情へと変えていける。

経年美化とは、ただ古くなることではありません。
長い時間に耐えられる素材が、人とともに過ごした時間を、
少しずつ美しさに変えていくことなのだと思います。

良いものは、時間を敵にしない

革は、使う人の色になる。
木は、触れるほど深まっていく。
鉄は、使うほど馴染んでいく。
真鍮や銅は、金属でありながら表情を変える。
デニムは、色落ちが個性になる。
ステンレスは、清潔感を保ちながら生活に馴染んでいく。

それぞれの変化は違います。

大きく変わる素材もあれば、ほとんど変わらないことで価値を持つ素材もあります。
手入れによって育つものもあれば、
日々の使用跡を静かに受け止めていくものもあります。
共通しているのは、時間を敵にしないということです。

短く使って捨てるものは、新品の瞬間がいちばん価値を持ちます。
少し傷がつき、少し古くなると、価値が下がっていく。
けれど良い素材で作られたものは、時間が経つことで別の価値を持ち始めます。

傷がついたから終わりではない。
色が変わったから古いのではない。
手に馴染んだからこそ、使いやすくなる。
変化したからこそ、自分のものになる。
そういうものを選ぶことは、時間を味方につける選択でもあります。

傷や変化まで含めて、長く付き合う

ものを長く使うということは、新品の状態を永遠に保つことではありません。
むしろ、新品ではなくなっていく過程を受け止めることです。

傷がつく。
色が変わる。
艶が出る。
くすむ。
手に馴染む。
自分の生活の跡が残る。

その変化を、ただの劣化と見るのか。
それとも、自分とそのものが一緒に過ごしてきた時間の跡と見るのか。
そこに、ものとの付き合い方の違いが出るように思います。

もちろん、汚れたままでいいわけではありません。
壊れても放置すればいいわけでもありません。
手入れをし、清潔に保ち、必要なら直しながら使う。
そのうえで生まれる傷や変化には、時間の厚みがあります。

ものを育てるとは、単に古くすることではありません。
手入れをしながら使い続け、そのものと一緒に時間を過ごすことです。

良いものを長く使うということは、完成された新品を眺め続けることではなく、
変化まで含めて付き合っていくことなのだと思います。

良いものを、長く。
良いものと、長く。

 

良いものを、長く。

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