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愛車、愛馬、相棒。モノを「ただのモノ」にしておけない人たち。

愛車、愛馬、相棒。モノを「ただのモノ」にしておけない人たち。


「愛車」という言葉は、よく考えると少し妙です。

愛犬。
愛猫。
愛鳥。

生き物への愛情を表す言葉の並びに、鉄とゴムとプラスチックでできた機械が、
さらりと混ざっている。
でも、誰も違和感を持ちません。
「愛車」は、完全に市民権を得た言葉です。

それはつまり、クルマをただの移動手段ではなく、
どこか生き物のように感じる感覚が、
私たちの中にごく自然にあるということなのだと思います。

考えてみれば、不思議です。
クルマは喋りません。
しっぽを振るわけでもありません。
名前を呼んでも、こちらを振り返るわけではありません。
それでも私たちは、クルマに対して「調子がいい」「機嫌が悪い」
「今日はよく走る」などと言います。
完全に、相手を生き物扱いしています。

バイク乗りの中には、自分のバイクを「愛馬」と呼ぶ人たちもいます。
馬。
生き物の言葉です。
でも、その感覚はそんなにおかしくないのかもしれません。

週末になると引っ張り出して、ゆっくり磨いて、エンジンの音を確認して、
天気を見ながら走りに出る。

雨が降りそうなら無理をしない。
長く乗ったあとは、汚れを落とし、油を差し、
次にまた気持ちよく走れるように整える。
毎日触れて、機嫌を伺って、手入れをして、一緒に走る。

そう考えると、馬と暮らしていた人間の感覚と、
構造としてはそこまで遠くないのかもしれません。

相手がたまたま鉄でできているだけで。

自分のクルマやバイクに名前をつける人もいます。
「うちのポコ」。
「タロウ」。
「お嬢さん」。
「銀ちゃん」。
「相棒」。

呼び方は人それぞれです。
外から見れば少し可笑しい。
でも本人にとっては、たぶんかなり自然なことです。
名前をつけるというのは、そのものを交換可能な存在ではなくする行為です。

同じ型番の車が世界中に何万台あっても、名前をつけたそれは、
もうただの「その型番の車」ではなくなります。

カタログ上は同じ車でも、自分にとっては「うちの一台」になる。
そこには、自分だけの時間があります。

買った日のこと。
初めて遠くまで走った日のこと。
雨の中で立ち往生したこと。
夜中にエンジンがかからなくなったこと。
洗車して、少し離れて眺めたときの妙な満足感。

そういう時間が積み重なって、ただの機械だったものに、
少しずつ人格のようなものが与えられていく。
もちろん、本当に人格があるわけではありません。
でも、人はそう感じてしまう。
そこが面白いところです。

旧車乗りに「なぜそんな不便なものに乗るのか」と聞くと、
だいたい困ったような顔で笑います。

壊れる。
手間がかかる。
部品を探すのも一苦労。
維持費もそれなりにかかる。
冬は機嫌が悪い。
雨の日は乗れない。
家族には「早く替えて」と言われる。
でも手放せない。

「ダメな子ほどかわいい」という感覚に近いのかもしれません。
でも、それだけではないような気もします。
手がかかるということは、その分だけ関わった時間があるということです。

調子が悪くなる。
原因を探す。
人に聞く。
部品を探す。
直す。
また走れるようになる。

その繰り返しの中で、そのクルマやバイクとの関係は少しずつ積み重なっていきます。
便利なもの、壊れないもの、すぐに交換できるものには、
それはそれで大きな価値があります。

日常の道具として考えれば、手間がかからないことはとても重要です。
でも、手間がかからないものには、手間をかけた記憶も残りにくい。

少し面倒で、少しわがままで、少し言うことを聞かない。
だからこそ、覚えていることが増えていく。

エンジンの音。
ハンドルの重さ。
ドアを閉めたときの音。
革シートの匂い。
ミラー越しに見た夕方の道。

そういう細かな記憶が、「愛車」という言葉の中に入っているのだと思います。
愛車とか、愛馬とか、相棒とか言いながら、
週末に嬉しそうに磨いている人たちがいます。
冷静に見ると、少しおかしい。

雨が降る前にカバーをかける。
調子が悪いと本気で心配する。
走り終わったあとに「よく走ったな」と言う。
新しい傷を見つけて、ちょっと落ち込む。
でも、そういう人たちを見ていると、なんだか愛おしくなります。

合理的かどうかでいえば、たぶんそうではない場面も多い。
新しい車に替えた方が、燃費もいいかもしれない。
故障も少ないかもしれない。
安全装備も増えるかもしれない。

それでも、手放せない一台がある。
そこには、単なる性能や価格では測れない関係があります。
たぶん、本人たちも少しだけ分かっているのです。
これは合理的ではない、と。

でも、それでも磨く。
名前を呼ぶ。
機嫌を伺う。
調子がいいと嬉しくなる。
少し不調だと気になってしまう。

そうしているうちに、ただの機械だったものが、
いつの間にか「うちの一台」になっていく。
ものとの関係は、時間と手間をかけた分だけ深くなります。
それはクルマでも、バイクでも、道具でも、おそらく同じことです。

使う。
手入れする。
直す。
また使う。
その繰り返しの中で、ものは少しずつ、交換可能な商品ではなくなっていく。

愛車という言葉は、少しおかしい。

でも、その少しおかしいところに、
ものと長く付き合うことの面白さがあるのだと思います。

良いものを、長く。
良いものと、長く。

 

良いものを、長く。

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